国内のバイクパーツメーカーをリードしてきた日本ビート工業。マフラーやステップを中心に数々のパーツを開発し続け、新素材も積極的に採用。性能、品質を追い続けてきた同社の歴史を紐解いてみる。
常に新しい技術に挑戦。その姿勢は今も健在
マフラーやステップ、ボディパーツなど、多彩なバイク用パーツを生み出す日本ビート工業。その製品は、カワサキのレースチームであるカワサキチームグリーンをはじめ、レースシーンでも多く採用されており、その性能と品質は過酷な現場でも実証されている。
もともと同社は工業製品の部品を製造していた。以前からバイクが好きだった現社長の富松義一氏と相談役が、ある日バイクショップに訪れると、そこには見たことがないタイプのステップが取り付けられたバイクが置かれていた。このステップにヒントを得た両者は自分たちでステップを製作。同社はこのステップを契機に、以降さまざまなバイク用パーツの製作に取りかかる。
1973年に社名を日本ビート工業製作所に変更するとバイク用パーツの生産を本格化し、74年には国産初となる市販ステップをZ1用としてリリース。同年、やはりZ1用の集合マフラーも市販した。76年には国産初となるマグネシウムホイールを開発。国内の有力レーシングチームをサポートする。この際にカワサキの清原明彦氏をサポートしたことがキッカケで、カワサキとの縁がより強くなった。
初期のパーツ開発
たまたま立ち寄ったバイクショップで海外製のステップを目にしたことが、同社がバイクパーツを生産するキッカケとなった。1974年、国産初となるステップキット(Z1用)を生み出すと、その2年後にはやはりZ1用の集合マフラーを開発した。ステップ、マフラーは現在も同社の看板商品だ。
バイクブームが隆盛を極めた1980年代には、ステップやマフラー、外装パーツなど、多彩な商品を展開。82年に株式会社に改組し、現在の社名が使われるようになる。このころとくに売れたパーツが、空冷エンジンのフィンをイメージしたアルフィンカバーやポイントカバー、そして大きめのスポイラーがついたシートカウルだった。87年には素材にチタンを用いたマフラー、ナサートを市販。このブランドネームは、30年以上が経過した現在も使われている。
以降も同社は時代の変化に合わせ、多様な製品を生み出し続けている。レースでもその製品の性能、そして品質を証明しており、とくに90年代においては、鈴鹿4時間耐久レースに自社チームで参戦し、ナサートを装着した同社のZXRレーサーは激戦のレースを制し、同社の知名度は不動のものとなった。