もともとはオメガスピード(現:アサヒナレーシング)が販売し始めた片目耐久フルカウル。同様のカウルは当時多数のメーカーが販売していたが、なぜ“才谷屋のカウル”というイメージが強いのだろうか?
1990年代の走り屋を中心に絶大な支持を集める
空前のバイクブームとなった1980〜90年代は、全国各地のサーキットでミニバイクレースが盛んに行なわれ、峠では走り屋と呼ばれる常連が社会問題になるほど集まっていた。そんな熱狂的なブームのなかで会社を立ち上げ、あっという間に誰もが知るようなメジャーなブランドとなった才谷屋ファクトリー。
才谷屋ファクトリーは今回紹介する片目耐久フルカウルを中心に、1990年代半ばごろはストリート向けの商品を短いスパンで次々とリリースしていた。走り屋たちの間で一大ブレイクを巻き起こしたディフューザーも、ちょうどこのころ発売されたモノだという。90年代後半になるとバイクブームは下火になり、峠に通う走り屋の数も激減することになるのだが、当時の走り屋系雑誌『バリバリマシン』に掲載されることを夢見るような目立ちたがり屋は相変わらず多かったそうだ。
ここではその当時の主力商品であり、今もなお多くのライダーに知られている片目耐久フルカウルに着目してみる。
このカウルがどのようなプロセスを経て製品化され、人気を博すことになったのかについて、才谷屋ファクトリーをブランドとして受け継ぐエイト代表の金田哲幸氏に聞いてみた。
「このカウルについては先代代表の時代に開発されたので詳しいことはわかりませんが、今のアサヒナレーシングがオメガスピードという名前で活動しているころに作り始めたのが最初だったと思います。当時は鈴鹿8耐などの耐久レースが盛んだったため、当時もオリジナル製品としたわけです。もう20年以上前の話ですね」
原付バイク用から作り始めた“あこがれのバイク風カウル”
1992年の創業時は原付のスポーツモデルをメインにラインナップしていた才谷屋ファクトリー。当時は耐久レーサー風の片目耐久アッパーカウルをはじめ、NSR250R風やNR風のシングルシートなど、“原付免許ライダーがあこがれそうなバイク”をモチーフにしたオリジナル外装で人気を博していた。ヘルメットに装着するディフューザーが流行り出したのも、ちょうどこのころだ。
「そこから徐々にラインナップを拡充していきました。同様のカウルが一気に広まったのはレースの影響が大きかったと思いますが、なぜ当社の商品がここまで脚光を浴びることになったのかは正直わかりません。その際にいろいろと加工したためか、ラインナップが豊富だったためか、単純にブランド名がカッコよかったからなのか…。ちなみに当時はヘルメットに装着するディフューザーもすごく反響が大きかったんですけど、実はこれも当社が最初に作ったわけではありません。そこからいろいろとアレンジしながらバリエーションを増やしていったという感じです。今はタイプ1からタイプ9までありますが、たぶんディフューザーにここまで力を入れて開発したのは当社ぐらいではないでしょうか」
なお、当時に比べてラインナップは少なくなっているが、同社は片目耐久フルカウルについては現在も一部の車両向けに生産し続けている。20年以上の間にライダーの世代がひと回りしたのか、ここ数年は20代前後のライダーから製作を依頼されることも増えているそうだ。
現代のカウルとの最大の違いは強度を高めるための加工の有無
製造方法自体は昔も今も変わらないものの、1990年代のカウルと現代のカウルでは完成品の形状が大きく異なるという。90年代のカウルはカウルの末端に返し部分がなかったため、同じような厚さで作っていても現代のカウルのような強度はなかったそうだ。また、90年代の素材(グラスファイバー)は収縮率が大きかったため、メス型を作っていく段階でオス型となる原型を完璧に作っても、メス型が収縮して歪んでしまうことが多かったという。そのため歪みの少ない製品を作るのが難しかったそうだ。
創業者の思想を守り続ける才谷屋ならではのモノ作り
創業者の武岡英樹氏が代表を務めていた時代から、個性的かつ高品質な商品をリリースし続けている才谷屋ファクトリー。90年代後半はバイクブームの衰退にともない四輪やビッグスクーターのドレスアップパーツ開発に傾倒していたが、00年代半ばにCBR250RR用CBR900RRレプリカカウルをリリースしてからは、メインターゲットをミドルクラスのスポーツバイクに移行。創業当時の才谷屋ファクトリーのモノ作りの基本に立ち返り、“あこがれのバイク風カウル”を次々と市場に投入している。
※本記事はカスタムピープル153号(2016年3月号)掲載記事を再編集したものとなります